28th TSM ハイライト
10月のTSMはAlpine&Gordini大特集ですが、昨年Dorphine Gordiniを高雄に持ち込まれたS氏が今回当時ルノーと血縁関係にあった日野の貴婦人を伴って参加されることになりました。ルノーとは同じリアエンジン/リアDrive、その姿はおそらくRenault軍団に溶け込むことでしょう。どんな個体だったのかご自身によるブログからの抜粋です。今度の高雄がますます濃いものとなりそうです。
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<我が愛車:日野コンテッサ1300クーペL(1966年)について>
1966年当時、日野自動車が、米国における日野ワークスといえるチームサムライ:ブロックレーシングエンタープライズ(BRE)を率いる ピート・ブロック氏(あのヒノ・サムライやコブラ・デイトナクーペのデザイナーとして著名)からの要望もあって、レースで勝つ事を目的として、ある時間標準ボディの生産ラインを停止し、薄い鉄板を用い、ウインドウのアクリル化、内装の簡素化、バケットシートへの変更等も施し、20台のみ軽量ボディの特別なクーペを作り上げた。これがL(Light weight)で、実に100kg以上の軽量化に成功している。 日野自動車は、ポルシェ911Rの前年、フェアレディZ432-Rの数年前、インプレッサSTi spec C や ランサーEvo. RS よりずっと~ずっと前に、心意気は同じといえるこんな車両を作ったのである。当時の日野自動車が、いかにコンテッサに夢を託し、賭けていたか・・という事が偲ばれる。
こうして極少数のLが、プライベートレーサーも含めた競技者(社)の元へ送り出されていった。当時の資料等により分かっている範囲では、国内における日野ワークスといえる塩沢商工(デル・レーシング)へは4台送られ、そのうちの1台は、市販を目的としてとりあえず1台のみ試作されたクラウン エイトのV8 2600ccを搭載した”デル・ダンディ・ツーリング”に変身した。
さらに、FIAのホモロゲーションの取得も済ませ、2台のLが1967年の米国でのレース活動に向けてシーズン前に、チームサムライの元へと海を渡り、テスト走行、開発が開始された。しかし、前年のトヨタとの業務提携後にコンテッサの製造中止が決定し、必然的にワークスでのレース活動も消滅してしまった。
チームサムライのLの1台は、1戦のみ現地でレース出場の後、ロバート・ダンハム氏が里帰りさせ、富士のレースに出場したり、1968年の第1回レーシングカーショーに出展されたりした後、1976年以降はコンテッサクラブ創立メンバーの1人である1エンスージアストの元で現在まで元気に過ごしている。
そして、この時のもう1台のLが、現在ボクの元にある車両であり、現時点で現存が確認されているL bodyは、この元チームサムライの2台とデル・ダンディ・ツーリングの3台のみと思われる。この車両は、米国で当初数度サーキットに持ち込まれた後は、ロサンゼルス郊外の某社納屋?に長く保管されてあったところを、1991年に業者を介して逆輸入され、縁あってボクが手に入れたモノである。その後(ヒマも資金も不足がちだった事もあり)なんと12年以上!の歳月を要してしまったが、コンテッサクラブのエキスパートの人々らのおかげで、2003年やっとレストア完成し、日野自動車様にも1966年製造の証明書を発行して頂く等ご尽力頂き、晴れて新規登録され、生誕後実に38年目にして初めて日本の路を走り出したのである。
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